私も日々勉強
とはいっても、我々の世代は、というところになるのでしょうか。現在の公教育では、このディベートの大切さ、重要性を訴えています。それこそ2020年の教育大改革の軸ともなっている「アクティブラーニング」(=先生が教壇にたち、一方的に授業を進めるのではなく、子どもが中心となり、参加型で学んでいく授業スタイルのこと)とは、まさにディベートやディスカッションを行い発表をしたり、プロジェクトを進めていくものにあたるのですから。
そして、そんな2020年に向けてやろうとしているディベートですが、海外をみると、ディベートはずっと前からごく身近にあり、学校教育の中でも頻繁にディベートが行われています。例えば、私が留学していた際も授業でディベート、宿題もディベート(エッセイ)、友達ともディベート…みたいな感じでした。正直、ディベートに慣れてもいなければ、ろくに英語も話せない自分なのに、またディベートかぁ…と嫌な時もありました。でも、その半面、とても楽しかったのを覚えています。
AかBか、もしくはYESかNOかさえもはっきり言わない傾向にある文化の中で生きてきた私にとっては本当にものすごく刺激的でした。例えば、
「第二次世界大戦を終戦にするためには、原爆投下は必要だったか、否か」
「同性愛者の結婚を認めるべきか、否か」
「stem cellに関する研究は必要か、否か」
「中絶/死刑/銃規制は必要か、否か」
など、普段は考えたこともなかったようなテーマも多く、しかしそれに関して意見を述べなくてはいけないわけですから、そりゃぁもう大変だったんです。なぜ反対なのか、なぜ賛成なのか、どちらにしても自分の考えを掘り下げて掘り下げて掘り下げて…整理して…言語化して…整理して…のような作業がずっと脳内で行われるわけですね。その何が楽しかったのか、きっと私にとっては、
◆ 考えもしなかったことを考えたこと
◆ あいまいだったものがはっきりしていくこと
◆ 賛成にしても反対にしても、他の人の考えを受け入れることで視野が広がること
きっと、そういう新しい自分に出会えた!的な感覚が刺激的で楽しかったのだと思います。
だから留学していたころは、ホントあぁでもない、こぉでもないと、延々と友達を話をしていた記憶があります。結果、だからどうだっていうのは全然必要なくて、「ほぉほぉ、あなたはそんな風におもってるんだ」「そんな考えもあるんだ!」「なぁ~るほど」って、きっと内心みんなポジティブな気持ちで終わっていて。それがきっと心地よかったのだと。
だから時々、主人と(主人も留学経験者)あぁでもない、こうでもないと、例え賛成していたとしても、あえて反対の意見をぶつけどう返ってくるかを楽しんで議論したりしています。(笑)
そして、何を言いたかったかというと、そんなディベートを将来的に教室の子たちにも出来るように指導していきたいなぁと。「どっちでもいい」「なんでもいい」的な考えが多い子どもたちをあえて、賛成と反対に分けて意見を言わせる。しかも英語で。うは!なんて刺激的でしょう!!
そして、そして。
私も英語のブラッシュアップも兼ねてオンラインディベート(もちろん英語で)に参戦しておりまーす!
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